◆貨幣の誕生は運命共同体の束縛を断ち、人に自由を与えた?
かなり前ですが何気なくTVを見ていたら、
こんな番組をやっていました。
アフリカのある村の映像。
若者が狩りにでて獲物を持ち帰り、
嬉々とした表情で肉を切り分けています。
切り分けた肉を近所の家に届けます。
受け取った男は、というと無言無表情。
嬉しそうには見えません。
ニコリともせず、もらって当然という顔をしています。
表情からも態度からも感謝する気持ちなど
微塵も感じられません。
渡す若者もこれまた無表情。
相手の喜ぶ顔やお礼の言葉を期待しているわけでも
ないようです。
ほとんど会話もなく立ち去ります。
次の家で出てきたのは老婆。
これも同様の応対です。
こうして5、6軒の家に届けていきますが
相手はすべて同じような応対です。
単に無表情というよりは不遜な態度にさえ見えます。
この映像は衝撃的でした。
ある種の不気味さを感じさせるものでした。
この不気味さを私の拙い文章力で伝えるのはなかなか難しいのですが、
まるで人の心を持たない人間か?どんな人種だろう?という疑問が湧いてきました。
●貨幣経済のない社会とはまさに「一人では生きていけない社会」
途中で解明されるのですが
ここは貨幣経済のない村だったのです。
この若者は、今回は狩りに成功したのですが
成果のない時も当然あります。
成果がない時は逆に仲間からの施しを受けなければ
生きていけません。
貨幣を持たない村、アフリカに今もある生活共同体の話だったのです。
これらのやりとりは彼らにとって日常のごく「あたりまえ」の風景であり
いちいち感謝したり喜んだりして見せる必要はないのでしょう。
貨幣のない社会では「個」と「個」、「個」と「集団=社会」の関係は
非常に濃いものとなるのです。
●貨幣の誕生が人間に個人の自由をもたらした
この若者が生きていくためにはこの運命共同体の束縛から
一生逃れることはできません。
もちろんこの若者だけではありません。
嫌だと思っても抜け出す自由はありません。(抜け出すということは死に繋がります。)
しかし、貨幣経済が誕生することでこの社会から離脱する自由が得られるのです。
現代人は貨幣経済により個人の自由がもたらされた、とこの番組は結んでいました。
今まで貨幣経済のない社会のことなど深く考えたことはありませんでしたが、
この番組で考えさせられました。
確かに想像するとその不自由さにゾッとするものがあります。
私たちは貨幣経済の恩恵である種の自由は得られたようですが、
かたや貨幣経済そのものからの束縛を日々感じてしまいます。
●権利収入があれば経済の束縛から自由になれる
経済からの束縛から自由になるためには権利収入が必要になります。
多くの人にとって、この先1本の労働収入だけでは
リスキーな生活を強いられることになるでしょう。
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◆ネットワークビジネス/「時間の投資」の意味を理解しなければ続かない