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  2025/04/01

赤く輝く車のテールランプ

赤く輝く車のテールランプ

赤く輝く車のテールランプ

 

うワッ、ワゎ~っ!

 

その瞬間‼ 私は声に出せない叫びを頭の中で叫んでいました。
目の前には真っ赤な光が…。

すぐにルームミラーをのぞき込み後席の様子を伺いました。
太った中年男性の酔客はイビキをかいて寝込んでいます。
ああぁ、気付かれていなかったと胸をなで下ろしてハッと気がつくと全身汗びっしょりです。
真っ赤な光は目前の車のブレーキランプでした。

雨の深夜の高速道路、運転中に睡魔に襲われ居眠りをしてしまっていたのです。
閉じかかった瞼越しに赤い光を感じてその瞬間に反射的にブレーキを踏んでいました。
追突寸前です。
無意識的な肉体の反応でした。

私が居眠りしていたのをお客さんに気付かれていたら間違いなくトラブルになっていたでしょうし
会社にクレーム通報されてしまいます。
それよりも怖いことは実車(客が乗車していること)で事故を起こしたら大変なことになります。

これはタクシードライバーをしていた時の恐怖体験ですが、これが一度や二度の話ではありません。
睡魔に襲われると意識では「絶対にここで眠ってはいけない!」と強く念じても、
フッといとも簡単に落ちてしまいます。

本当に睡魔とは恐ろしいものです。
こんな怖い仕事は早く辞めたい、自分には向いていないと思いながらも、
すぐ辞められない自分自身に腹を立てつつイヤイヤ続けていました。

その後腰を痛めて辞めざるを得ないことになるのですが…。

 

夜の交通渋滞               

 

★★★★★★★★

 

私は北海道の片田舎に生まれ育ち18年すごしました。
目の前は日本海、すぐ後ろは山という小さな漁師町でした。
高校二年の時に腰椎椎間板ヘルニアを患い入院。
結局治療だけでは治らず手術することになりましたが四か月以上休学したために留年しそうになりました。
補習授業を受けて何とか留年は免れ卒業はできましたが、そんな状況でしたから
卒業した年の春は大学受験を諦め東京に出て浪人生活を始めたのです。

美術系の大学を出て美術の教師になろうと思っていたのです。

自慢ではありませんが私の家は貧乏でしたから国立大学の一択です。
なかなかの難関です。通りません。三度ヂャレンジしてダメでした。

この時人生初の挫折を味わいました。

大学受験を見事に失敗し続けている最中に成人してしまいました。

成人の日、当時は1月15日、祝日でしたが私は御茶の水の画材屋の上の喫茶店でバイトしていました。

その日全国で成人式が催されており休日ですが式には出ないで出勤していたのです。

店は同じ歳の、晴れ着を着た女子やスーツの男子でいっぱいになり幸せそうな笑い声が響いています。

いわずもがな、皆成人式の帰りですね。

おれって、なんだかな~、…わけのわからない自己嫌悪と焦燥感に駆られていました。

 

いつまでも浪人を続けるわけにも行かず大学は諦めて専門学校に入り就職したのです。
広告プロダクション、広告代理店を渡り歩き30歳で独立しました。
始めはフリーのアートディレクターでしたがバイクの仕事でヤマハ発動機さんと取引することになり
法人が条件ということでスタッフを雇い法人化しました。

独立後5年間くらいははまずまずだったのですがその後は累積債務が
毎年増えるようになってきました。
しかしノー天気な私はたいして気にも留めずにいたのです。

経営を学んだこともなくフィナンシャルリテラシーも低い社長(私)のこの会社は
10年ほどで債務超過に陥り破綻してしまいます。

現実の悩みからは酒に逃れ、現実に正しく向き合えない人間、
幸いアル中にはならずに済みましたが人生第二の挫折です。

家族を抱えながらすぐに何ができるかと色々考えましたが

結局タクシードライバーをすることになりました。

 

★★★★★★★★

そしてここから冒頭の話の続きになりますが、腰を痛めてタクシー会社を退社した後は
細々と昔取った杵柄の仕事をしたりアルバイトなどで糊口をしのぐ生活を続けていました。

そしてついには離婚です。これが第三の挫折?絶望?でした。
メンタルをやられたのか鬱状態になり心療内科へ。

霊肉一如と申しますが精神がおかしくなると肉体もおかしくなるようです。
腰痛、膝痛が出始めて仕事もままならなくなり自己破産か自殺かというところまで
追いつめられていました。

あの当時のことは本当にもう思い出したくもありません。
思い出したくないという想いが強いためでしょうか記憶は断片的にしか残っていないようです。

子供が小中学生の頃の、子供や家族との楽しい思い出などもほとんどありません。

激しい自己嫌悪の毎日でした。
お陰様というか何というか自己破産も自殺もしないで暗い生活をしていました。
とにかくしっかりしなければという想いを自分に言い聞かせながら、
なんとか少し回復してきましたので何でもいいから出来ることを始めました。

バイク便、印刷工場の製品管理、郵便局の下請けの宅配業なども長くは続かず、
その後派遣会社に登録。
派遣会社はお座敷がかかれば早朝千葉船橋の駅前周辺に集まる送迎バスに乗り込みます。
船橋・市川の倉庫地帯に向かうのです。
バスを待つ派遣社員で長蛇の列、それは暗い光景でした。

それをマスコミは平成の奴隷船などと報じていました。
低賃金のうえに仕事をもらえない日もあるとなると、
とても最低限の人間らしい生活などできません。

このころは本当に自分の無能さに苛まれる毎日でしたね。

 

そんな中である日知人からネットワークビジネスを誘われたのです。
何かよくわからないが無能な私でもできるという話で、私は藁をもすがる気持ちで
参加したのです。

カンタンそうに見えていましたがやってみると全く思うようには行きません。
言われるままにリストアップして勧誘しましたが結局一人も紹介は出せずでした。

もうここまで書いてきて自分でも笑うしかありません。
結局辞めざるをえなくなり辞めました。

これが第四のプチ挫折です。

しかしネットワークビジネスの仕組みは自分なりに理解していて「権利的収入」による経済的自由と
それに伴う時間的自由には強い魅力を感じていたのです。

それからの人生も悶々としたものでしたが、何年か後にウェブでインターネットで集客する
勧誘しなくても成功できるネットワークビジネスという記事に出会いました。

うわ!こんなものがあったのか!と小躍りして即断即決参加したのです。
もちろん色々検索してあちこち調べ独自の「顧客○○システム」を持つという
あるチームに参加しました。

ところがこれがまた結果、第五の挫折となってしまいました。

このチームは特別な教育システムを謳い文句にしていたのですが参加してみてがっかりでした。
ランディングページを3タイプの中から一つ選んで使って良いということでしたが
中身はどれも薄っぺらな陳腐なものでデザインは古臭いスーパーの安売りチラシ然とした
ダサいものでしたから選ぶのに泣くに泣けない妙な苦労をさせられました。

教育用の資料はPDF10数ページ程度のものでただ読んでおくように言われただけで
その後のフォローなど何もありませんでした。
Zoomなどを使ったトレーニングもなくとりあえずブログを100記事書きなさい、
ということでした。
製品は気に入って使っていましたがそのうちにアップは連絡がつかなくなり
私は絶望して辞めました。

まさに教育システムとは名ばかりで中身のない古臭い時代遅れのチームだったのです。

 

しかしこのように数多くの挫折を繰り返してきたダメな私がなぜ今現在V字回復し、
悶々とした人生に別れを告げ未来に希望を抱き、笑いながらこんなプロフィールを
書いていられるのか?

その答えは―――遂にあるビジネスシステムに出会えたからです。

 

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