◆人間の喧嘩と狼の喧嘩の決定的な相違点がおもしろい
平和を望むあなた様は突然喧嘩の話なんて聞きたくないかもしれません。
いまだに続く戦争、紛争が起こる原因を考察するヒントになり世界が平和でありますようにとの願いを込めて書きます。
そもそも喧嘩なんてしないに越したことはありません。
皆さん好きでやっている人はいないと思いますが…。
*鳩と人間はここが似ている
狼の話の前に鳩の話です。
焦(ジ)らすわけではありません。
鳩と人間の似ていることのひとつは発情期がない、ということです。
逆に言えば年がら年中発情期であるということですね。
飼われている鳩は餌を豊富に与えられ、その旺盛な繁殖力で産卵を繰り返します。
放置すると多産により母体が衰弱し死に至ることもあります。
そこでこれを防ぐために偽卵を与えます。
文字通り偽の卵です。
これを巣に入れると自分が産んだものと勘違いして抱卵を始めます。
バカですねぇ(笑)。抱卵すると発情は止まります。
それで一定期間交尾行動を制御できるのです。
平和の象徴と呼ばれる鳩でも喧嘩はします。
頻繁にみられるのはメスをめぐるオス同士の戦い。
この争いは、自然界の多くの動物にみられますが、生殖の際に、
より強い個体の遺伝子が残るように仕組まれた儀式のようなものです。
*鳩のいじめは執拗に陰湿に続く。人間もいっしょ?
狭い鳩舎では密になります。
喧嘩が始まっても自然界では負けを認めたものは逃げ去りますが、
狭い鳩舎の中ではそうはいきません。
負けたほうは延々と攻撃されズタボロにされて時には死に至ります。
どうしてそこまでやるのか。
人間社会でも思い当たりませんか?
一般に同種・同族での争いは決着がつけばそこでおしまい。
負けたほうは白旗に変わる何らかのサインを出します。
攻撃はそれでストップします。死に至るまで続けるということはないのです。
種の保存のためには必要な仕組みとしてうなずけます。
平和の鳩のはずですがなぜ同種の相手を殺すまでに攻撃を続けるのでしょう。
それは攻撃を制御するシステムがないからと言われています。
*パフォーマンスが上がればそれに見合う高度な制御システムが必要になる
鳩は本来逃げることに特化して進化してきました。
必要に迫られれば攻撃しますが攻撃能力としては貧弱なものです。
肉食ではありませんし被捕食動物ですから攻撃能力を高めることは必要なく、
逃げる能力を高めて危険を回避しています。
鳩の喧嘩では、一旦攻撃し始めると攻撃を制御することができませんから
相手が死ぬまで続けてしまうのです。
一方肉食動物は捕食のためにその攻撃力を磨いてきました。
なにせ相手を殺傷しなければ食事にありつけませんから。
本来は同種の争いのためではありませんが同種の争いにその攻撃力が発揮されると
大変危険なものになります。
仲間を死に追いやるという望まない結果が待っています。
しかし凄い形相で狼が仲間と争っていても相手がギブアップのサインを出せば闘争は即終わりです。
一瞬にして完全なブレーキがかかるのです。
もっともわかりやすい負けのサインは敗者が相手に腹を見せることです。
その時の勝者の表情は独特のものです。(笑えます)
激しく燃え盛っていた闘争本能が突然真冬の氷水の中にブチ込まれたのですから
その葛藤がモロに表情として顔に出ます。
怒りなのか笑っているのか、それらが混ざった表情、何とも言えない顔なんです。
高い攻撃能力にはそれに対応する高い制御能力が必要なのです。
F-1のレーシングカーに自転車のブレーキしかついていなかったらどんなことになるか
想像してください。
肉体的に特別な武器を持たない鳩や人間は制御システムが発達していません。
*人間は肉体的な武器はなくても道具で破滅的な攻撃力を得た
地上の動物界で徒手の人間はランキングの下から数えた方が早いほど弱いでしょう。
中型犬にでも怯えますよね。
実際何も訓練していない人間なら中型犬にでもやられてしまうでしょう。
攻撃の制御能力が低い人間がそれに見合わない高度な武器を発達させたことで悲劇が生まれます。
鳩のように一旦攻撃が始まると相手がどうなろうと制御不能に陥るということです。
こうなるともう人間は自転車のブレーキしか持たないF-1レーシングカーなのです。
21世紀といえどもいまだに世界中で紛争・戦争が絶えませんよね。
平和を望みます。
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僕は実際に自分の制御能力の欠如を体験したことがあります。
20代前半の頃、今のところ人生最後の喧嘩でした。
深夜タクシー待ちの行列でなかなか来ないタクシー。
皆イライラしながら待っていましたが突然後に並んでいた男が騒ぎ始めたのを注意して勃発。
結果は、並んでいた人たちが「もうやめろ!お前の勝ちだ」と、止めに入ってくれて終わりました。
冷静になって振り返ったら、なぜ反撃もできないほどグロッキーになった相手を殴り続けたのか。
頭のすみっこにかすかに「これ以上続けたらヤバイ」という声が聞こえた気はします。
しかしやめられない。止められていなければ犯罪者になっていた可能性が大です。
(かなり喧嘩慣れしている人ならここまでやらないかもしれません。)
これ以来喧嘩はしません。自分のいままで知らなかった影の部分を見せられ、
自分で自分に恐怖を感じ戦慄したのを覚えています。
これをきっかけに僕は武術の世界にのめり込むことになります。
喧嘩に強くなるためではありません。
余裕のない精神では自分がやられると言う恐怖心から制御不能に陥るとも考えられます。
真の強さとは、どんな局面でも冷静な判断力を失わない自己制御能力を発揮できる余裕ある精神力と、決して諦めない不撓不屈の心を持つことだと思います。
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